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その2 どう考えても納得できないことは山ほどあったものの、とりあえず私は言われた通りに電話をかけてみることにした。幸いにして私は(悔しいことに彼女の指摘どおり)仕事もなく時間をたっぷりと余していたし、当面はなんとかしのいでいけるくらいの貯金もあった。 だた自宅や自分の携帯からいきなりその林芙美子という人にいきなり連絡するというのもなんとなく抵抗があったので、最初は近くの公衆電話を選んでかけてみることにした。向こうも私のことは全然知らないだろうけれど、私だってその人のことを全く知らない。 公衆電話からの怪しい電話なんて取ってくれるかなあ、なんて心配しながらかけたのだけれど、最初に教えてもらった携帯へはそもそもつながりもしなかった。その番号は現在使われておりませんだそうで、国府田も予想していた通り解約されてしまったらしい。 仕方なしに私は備え付けの電話帳を持ち上げて「株式会社ベルリング」を探すことにした。在区と名前がわかっていたので調べるのは楽で、索引から開いたそのページには「家具・調度のコーディネートと仕入れ・販売」と小さな広告まで載っていた。 さっそく電話をかけてみる。 「はい。お世話になっております『ベルリング』でございます」 「あ、突然で申し訳ないのですけど、そちらに『林芙美子』さんという方はお勤めになっているでしょうか?」 「? はい。林は当社の社長ですが。何か御用でしょうか」 それならそうと国府田め先に言っておいてくれ、と私は内心腹立たしく思った。受け付けをしてくれた女性がやや不審そうな声音に変わったのを感じる。 「いえ、プライベートな用件なんです。お忙しいところすみませんができましたら社長に代わっていただけないでしょうか? お時間はとらせませんから」 我ながらものすごく怪しげな物言いだなと思う。だけどそれ以上は私だって知らないんだから仕方がない。受けている女性(まだ若そうな声の印象をしている)は「少々お待ちいただけますか」と一言私に告げ、保留音を残して電話口から消えた。 差し込んでいたテレホンカードの数字がまた一つずつと消え、私は電話ボックスの中でだいぶ待たされた。退屈だったので保留音にされているペールギュントの組曲が何周するかを数えていたのだけれど、おおよそ4周目にさしかかろうかというところで、唐突にその音は途切れた。 「お待たせいたしました。林でございます」 たったそれだけの一言だったけれど、私は一瞬胸元をぐっと潰されたような衝撃を感じた。初めて電話で聞いた林芙美子さんの声は、女性にしてはやや低めのトーン、腹式の呼吸なのだろう通る響きをもっていて、少ない言葉で相手を説得てしまえるだろう落ち着いた理知を感じさせるものだった。 もしもし? と聞き返されて私はやっと我に返ると、緊張に声を裏返しそうになりながらも当初の目的を果たすことを思い出した。 国府田淳子という名前に思い当たる節はあるか、とまずは尋ねてみる。 「国府田? あなた、国府田さんとはどういうご関係?」 「いえ、その。高校の同級生だったんですが。よかった、とりあえずは国府田のことはご存知なんですよね」 「知っているも何も…。ええ、それで、それが何か」 私は事前にネットで調べておいた近辺の喫茶店一覧を取り出した。ここまで来ればあとは約束を取り付けてしまえばいい。 「奇妙な話だっていうのはわかっています。だけど、私も彼女にどうしてもと頼まれたもので断るわけにはいかないんです。電話口ではなんですから、ぜひ一度私と会ってもらえないでしょうか。お話しておきたい大切なことがあるんです」 「会う、って。その言い方だと、かなり切羽詰っているんでしょう?」 「そうなんです。できるだけ早くにしてもらえると」 国府田から特に時期の期限を設けられたわけではなかったけれども、この手の営業職の人を相手にするのに「いつでもよいので」は禁句と私は判断した。「いつでもいい」用事は「どうしても」の用事より当然後に回されるのだから、次に入るだろう「どうしても」が続く限り半永久的に相手をしてもらえない。 林さんは「お待ちください」と一言残してそのまま背後の誰か(おそらく最初に受けてくれた女の人だろう)に何かを尋ねていた。保留を押していなかったので、内容までは聞き取れないまでも向こうの雰囲気くらいは察せる。 しばらくして「わかりました」と林さんは言った。 「じゃあ、次の日曜日でどう?」 「えっ! そんなに早くに会っていただけるんですか?」 「ええ、丁度その日は前から空けておいたスケジュールがあるもので。…ただし、午前だけとかでもいいでしょうか」 「もちろんです」 と、思ってもみなかったほどあっさりと林さんは私と約束をしてくれた。ただ、会う場所についてはその後のスケジュールの関係とかであちらに指定されてしまう。私としては別にどっちでもよかったのでそのとおりに従うことにする。 「じゃあ、それで。お待ちしています」 「こちらこそ。どうぞよろしくお願いします」 私たちはお互いの携帯の番号を交換して電話を切った。不謹慎かもしれないが、私は電話を切ったあとで、少し気持ちが弾むような、わくわくした気持ちを感じていた。 「声」だけ、というのは少々おかしなものかもしれないけれど、私はその林芙美子という人に対してちょっとした好意を抱き始めていた。 顔や身体がそうだという人があるように、声が「セクシー」という人もいるのなんだな、と私はその日しばらくの間ずっとそんなことを考えていた。 日曜日になって、私はいつもより早めに起きて身支度をすると、乗り付けない方向の電車に乗って待ち合わせの喫茶店へと向った。仕事を辞めるまでの数年間をこの地域で過ごしては来たものの、私はその方面を目指すのはその日が初めてのことだった。 指定されたところはビジネス街と昔ながらの住宅地に差し挟まれたちょっとした小都市で、もう一本先へ進む電車に乗ればすぐ郊外型の観光地につながることから、私はもしかしたら午後からの予定というのはデートか何かなんじゃないかな、とあたりをつけていた。 そして、実際目の前にして会った芙美子さんも、私のその予想を否定しなかった。 「はじめまして。真木さん」 「こちらこそ、はじめまして」 国府田が言っていたように、芙美子さんは私を待つ間も先にコーヒーを飲んでいた。私が遅く着いてしまったことを詫びると、彼女は「いえいえ」、と照れくさそうに笑った。 「実は、あなたから電話をもらったでしょう? あの時から、変なんだけれどもすごく気持ちが高ぶっちゃって。今朝も早起きしたものだからつい時間より早めにここに着いてしまったわけ」 「そうなんですか? 本当に?」 「この齢になって、なんて思われるかもしれないけれども。だってそんなふうに知らない誰かに『大切な話がある』って呼び出されるなんて、あまりあることじゃないじゃないからね」 林さんは、私よりもいくぶん年上だった。小さいながらも取締役社長をしているのだから当然といえば当然なのだけれど、私は国府田が名指しをするくらいなのだしもうちょっと年齢の近しい人を想像していたので待ち合わせ場所に彼女を見つけたときは正直少し驚いた。 だけどそれは決してイメージ的にマイナスというわけではなくって、むしろその大人な仕草や振る舞いや態度や匂いたつもの全てに関して、電話口で私が感じたあの高揚感を丸ごと延長させたものを持ち合わせているように感じられた。 私は赤くなりがちな自分の顔を気取られないように、向かいに座った席で手元のハンドバッグから封筒を取り出した。国府田から最初の電話をもらったときにみつけた、あの訃報のお知らせだった。 「国府田…淳子が亡くなったってことは、知っていますよね」 「ええ。知ったのは葬儀の後になってからだったけれど。残念なことよね。まだ若かったのに」 国府田の名前を出すと芙美子さんは本当に残念そうにうつむいた。私は、今日の約束をとりつけた後で予告どおり私の家に(しかも迷惑な真夜中に)かかってきた国府田からの電話を丁寧に思い出していた。 「本題に入ってもいいんですけれども、その前に私から質問をしてもいいですか?」 何せ、国府田は私には用件以外の個人的なことは何一つ話してなんてくれていない。頼まれてはみたものの、そのくらいは知ろうとしたってバチは当たらないんじゃないかと私は思う。 芙美子さんは、「今更隠してもしょうがないしね」と私の申し出を快く承諾してくれる。 「芙美子さんは、国府田とはどうやって知り合ったんですか?」 「自慢できることかどうか知らないけど。お店で知り合ったの。出会った当時、行きつけてたバーがあったから」 へー。バーねー。と私は心でつぶやいた。そういえば、国府田は高校時代から酒好きになりそうな素質を持っていた。 「何度か顔を合わせて話してるうちに意気投合してね。それから1月くらいかな。あの子と付き合うようになったのって」 「え?」 ふんふん、と調子よく相づちをうっていた私の動きがぴたりと止まった。すみません、もう一度、と聞き返すと、全く同じ内容を芙美子さんは繰り返して教えてくれる。 「『付き合う』って、その。どういう意味です?」 「だから、それはちゃんと恋人として…って、あなたまさか知らなかったの?」 知りませんでした。 ああ。そういえば国府田は高校時代から、そんな感じになってもおかしくないような素質も確かに持っていたっけ。 驚く私に芙美子さんは「ごめんなさいね」とその必要もないのに丁寧に謝った。 「私はてっきりそういう関係の話なんじゃないかと思ってたものだから」 「いえ、いいんです。だけどそれを聞いてようやく謎が解けたような気がします」 私はそこで国府田からの伝言を書いたメモを取り出した。電話を受けたときはわけもわからず一字一句を書き写しただけだったけれども、そうなってみると妙にその言葉には説得力がある。 「国府田からの伝言です。『あんな別れ方をしてごめんなさい。最後まで誤解させたままになってしまったけれど、私はあなたにとって必要な人にずっとなりたいと思っていました。これはお詫びです。もう遅いかもしれないけれど、どうぞ受け取ってください』 …って」 私が自筆のメモを渡すと、芙美子さんは受け取ってしげしげと文字を眺めた。三度くらいはたぶんそこで繰り返し読み直しをしたと思う。 それから、私にそのメモをもらっていいかと尋ねた。私はもちろんかまわない、と応えた。 「国府田とは、死ぬ前にはもう別れていたんですよね」 「そうなの。ちょうど、私が独立を決心して会社を立ち上げた時でね。いろいろとすれ違うことも多かったし、今思えばずいぶんつまらないことでケンカもしたな」 「寂しいですね、そういう話…」 そこで、私は沈みそうになった芙美子さんを励ます意味をこめて、その彼女の立ち上げた会社についていくつか質問をしてみた。扱っていた品物こそ多少は違えど、私も辞める前までは会社で似たような海外からの受注や発送指示の仕事を担当していたこともあって、話はそれなりに盛り上がることができた。 雑談を交えて話す芙美子さんは年の差を感じさせないほどとても気さくで、話す内容も理論だってきちんとしており、おまけに冗談も適度に使えるなかなか大した人だった。私はその微笑む優しい表情を見ながら、一体こんな人をどうやってつかまえて、そして手放すようなことがあの国府田にできたんだろう、とその不思議を考えた。 やがてふと正面にかかっていた壁時計を見るともう11時を回っており、私は楽しかったけれどももうこれで私の役目は終わりなのかな、と思った。 「それじゃあ、もうすぐお昼ですから、そろそろ」 「そうね。どうもありがとう、真木さん」 「いえ。とんでもありません」 部外者としての役目でしかなかったけれども、終わってみればそう嫌なことでもなかった。きっとこれで国府田も思い残すことなく天国へ行けるだろう。めでたしめでたし。 ただ、心残りがあるとすれば。それはこの芙美子さんともう会えないっていうことだろうか。 私は芙美子さんと並んで喫茶店を出ると、これからデートに行く相手というのも女の人かと尋ねて聞いた。そうよ、と落ち着いた大人の笑顔で彼女は応えた。今ね、とてもその子のことが好きなの、と言う。 二人で駅前に着いてそれぞれに切符を買うと、芙美子さんは私に握手を求めてきた。私はそれを別れの挨拶と受け取ってぎゅっと握り返したのだけれど。 なぜかその手を芙美子さんはすぐには放そうとはせず、まっすぐに私の目を見詰めてきた。 「失礼だけど、真木さん。あなた、今どちらにお勤めになっているの?」 「ええと、それがですね。わけあって今は無職の身でして」 「これからどちらかに就職のあてはある?」 「いえ、これといって特には」 そう、ならよかった。と、彼女は言う。私は何がいいんだろう、と鈍い頭を横にひねった。 「正式なことはまた折りをみて連絡するから。いいかな」 「何がですか?」 「あなたみたいな人、実は前から欲しかったのよ。すごく」 きょとんと目を丸くしている私に、林さんは名刺を一枚差し出した。私は両手を添えてそれを受け取る。 「あなた、私の会社で働いてみる気はない? できたらそうね、なるべく早いうちにも」 微笑んだ芙美子さんと真正面から見詰め合って、私は顔が真っ赤になってしまった。何が何だかわからないまでも、ただそこで断っちゃいけないということを本能的に察知して、私は「はい!」と大きすぎるくらいの声でうなずいた。 |