彼女は私のベルを鳴らす
その1
 
 さっきから覚えているだけでもゆうに10コールはしている電話を私が取ろうとしないのは、なにも電話が嫌いだからとか出たくないようなやましい事情があるからとか、決してそういうわけじゃあない。
 私はここ1月ほどの間、近しい身内でのごたごたの真ん中に巻き込まれており、その始末のため勤めていた仕事も辞めなければならなかったほど、めまぐるしくも忙しい日々を過ごさせられていた。
 それが昨日になってやっと一段落、と解放されたばかりで、ようやくとれた一人の時間を有効に使うべく、まずは12時間くらいは寝てやろうと、はりきって就寝をしたあとの、その翌早朝の出来事である。
 単調な家電話のベルはそうして自分の状況を思い出している間にももう5コール追加され、ついに我慢の限界を感じだ私はかぶっていた薄い布団を跳ね除けた。よろよろ病み上がりの人の足取りで狭い部屋を横切り、窓際に置かれた受話器に手をかける。
 私は、指先でちょっとつまんで持ち上げた子機を、そのままポトンともう一度親機の上に乗せなおした。
 子気味よい音をして通信が途切れたことを確認すると、私は素早く親機背面にある電話のコードを引き抜いた。一応とった受話器を耳にあててみて、全く何の反応もないことを確かめる。
 壁の時計を見上げればまだまだやっと朝日が昇るかどうかという時間。当初の目標にはあと6時間は足りないな、と暗算を終えた私はもう一度さっきまで自分のいたベッドへと戻ることにした。
 ようやく抜け出したせいでぬるくなってしまった布団が再び肌になじみだしたかというころ、しかし今度は私の耳元近くでベルは鳴り出した。うとうとしかけたところを起こされて更に不機嫌をつのらせながら、私が周囲を手探りするとその正体は携帯電話だった。
 その電源も切ってしまうことも考えたが、これを切ったら今度は家に直接押しかけてこられかねないようなものをそこで感じ諦めることにした。ふしょうぶしょうながらも通話のボタンを親指で押す。
「もしもし」
「どうしてすぐに出ないの? 人を待たせるのもいい加減にしなさいよ」
 第一声を聞いて逆ギレしたい気持ちが胸のあたりにこみ上げたけれど、私は気持ちを大人にしてぐっとこらえることにした。余計なことを言わないほうが面倒なことほどすぐに済むという法則を、私は自分の経験からずっと前から知っていた。
 私はなおも相手が私のことを責めてる間に、ちらりと携帯を耳から放してその画面に出ている文字を横目で見た。そこには思ったとおり登録された名前ではなく、初めて見かける電話番号が表示されていた。
「あの、申し訳ないんですけれど。もしかして間違い電話じゃありませんか?」
「どうして? 間違ってなんていないよ」
「いや、だって。お聞きしますけど、あなたは『誰』におかけになったかわかってます?」
 今の私にかけてくるような相手は身内か親しい友達数人かというくらいのもので、登録されていない人からかかってくることなんてめったにない。引っ掛け勧誘ならこんなに長くはコールしないだろうし、公共施設関係の用事なら、取った途端にキレ出すわけがない。
 つまりこれは間違い電話なんだ、と判断するのはそう常識はずれなことではない。
「知ってるよ。陵子でしょ。『真木陵子』(まきりょうこ)」
「! なんで知ってるの? ていうか、あなた誰?」
 私は本名をズバリ言い当てられて一気に目が醒めた。眉間をおさえて今電話をしている相手は誰だったかを必死に思い出そうとする。テーブルの上に開きっぱなしにしていたアドレス帳を素早くめくった。
「まさか本当に忘れたなんて言わないよね。私、国府田淳子(こうだじゅん)だよ」
「え…国府田、っていうと」
「ほらー。高校で同じクラスだったじゃない。わりと仲良かったはずなのにな」
 私は、声を聞いてもピンとはこなかった相手の、名前を聞いた途端にぱっと何かがひらめいた。
 確かに私の高校時代には国府田淳子という友達はいた。一緒にどこかに出かけたり勉強を教えあったりとかしたこともあった。だけどもその後それぞれ全然別の地方へ進学をして以来、最初の数年はともかくそれきり10年近く会っていないような人だ。
 懐かしいには懐かしいのだけれども、私はすぐには素直には喜べずなんとなく胡散臭いものを感じてしまう。私はベッドの上で枕を抱えながら、さてどうしたものかと考える。
「それで、国府田さん。私に何か用事でも?」
「うん。まあ、いきなり電話して悪かったとは(少し)思ってるんだけど。ちょっとお願いしたいことがあって」
 当時は呼び捨てであった名前をわざとらしく他人行儀に呼んでみる。だけど相手は全く皮肉に気づくふうでもなく話をどんどん進め始めた。
「実はね。あなたに会ってもらいたい人がいるの」
「あのさ。悪いんだけど、私いまのところ自己啓発とか宗教とか、そういうの間に合ってるから…」
「わけを話すと長くなるんだけど、どうしても、ある人に会って、そこで伝えてもらいたいことがあるんだ」
 私は遮られた自分の反論は気にしないことにして、彼女の言葉に反論をやめた。それまで強い調子であった彼女の口調が、一瞬ゆるんだようにも思えた。
 すかさず、そこで彼女は私の弱腰につけこんで話を続ける。
「どうせ今、無職ですることないんでしょ」
「うるさいな。なんでそんなことまで知ってるの」
「なぜって、わかるんだもの仕方がないじゃない。それより、メモが必要だと思うから、手元に紙と書くものを用意してくれる?」
 私はベッドルームを横切ると、部屋の隅に据え付けてある机の椅子を引いた。座ってすぐ、中央にあるノートパソコンを脇にどける。ここのところ掃除が行き届いていなかったせいで机上はまるで万年床を敷いた部屋のようにパソコンがあった部分を除いてさまざまな郵便物やら領収書やらが散らばって置かれている。私はその封筒の山をあさって、とりあえずメモ代わりになりそうなものを探すと、ボールペンの芯をノックした。
「いい? まずその人の電話番号からね。090−××××−××××。わかった? もし変わっていたり出てくれなかったりしたら、電話帳か何かで○○区にある『株式会社ベルリング』ってところを探してそこにかけて。小さい会社だからすぐ見つかると思う」
「その人の名前は?」
「ん? そうだった言ってなかったね。名前は『林芙美子』(はやしふみこ)。有名な作家と同姓同名なの」
 私はバカ正直に言われたことをメモにとることにした。(反抗するのが面倒だった)。そこで、相手の名前を書いたところでふとペンを止める。
「なんだ。会って伝えたいことがあるって言ったのに。女の人なの?」
「何か問題でもあるの?」
「ないけど。それで?」
「とりあえずはそんなとこ」
 私は「それだけ?」と少し拍子抜けして聞き返しながら受話器を持つ手を持ち換えた。
 彼女は私の気持ちを先回りして言う。
「とりあえず、会ってくれさえすればいいの。約束を取り付けることができたらまたこっちから電話するから」
「待ってよ。いきなりそんな会ったこともないような人に言い出されて、どこの誰がすんなり会おうとしてくれると思うの。せめてどういう用事だとか、何の目的があってとか、そういうのがないと」
 だけど彼女はただ「国府田淳子から伝えたいことがある」って言えば大丈夫、としか指示しようとしなかった。私がしつこく現実的な提案をしてみても、意味もなく強気で、全く聞く気がないらしい。
「…まあ、全力は尽くしてみるけど」
「待合場所とか、それは適当にまかせる。あ、あの人コーヒーが好きだからそういう専門店とかいいかもね。ただし、チェーンじゃなくてなるべく個人の味にうるさそうなところ」
「いろいろ注文が多いね」
 私がそこまでの話を理解した旨を伝えると「じゃ、そういうことで」と彼女はあっさり電話を切ろうとする。
 私は慌てて引き止めた。
「待って。もし何かあったときのためにそっちの連絡先を聞かせておいてよ」
「んー。そうしたいのはやまやまなんだけどね。できないきまりなんだよね」
「きまり、って何さ」
「私の電話って、かけられるんだけど受けられないしくみをしてるから」
 妙な言い方に私は首をかしげた。先ほどまでの会話といい、あえて突っ込みはしなかったけれども彼女の話はいろいろと不自然な点が多い。
「必要だと思ったらこっちからかけるし。心配しなくてもちゃんと時期の判断はしてあげるから」
「そんないい加減なこと言われても。だいたい、あなたは今どこにいるの? どっから電話かけてんの?」
「知りたい?」
 私が返事をしようとした瞬間、あ、と彼女の最後の声を残してそこで唐突に切れた。私が何ごとかと受話器を顔から放すと、携帯は充電が不足していたらしく電源がぷっつり切れている。
 しまった。先にこっちの家の番号でも教えておけばよかったかな、と私は軽く後悔して自分に舌打ちをした。
 この状況でもう一度すぐに彼女が私のところにかけてきてくれるという可能性は非常に少ないのだけれども、一応はかない望みを託して携帯を充電器に立て掛けた。
 すっかり眠る気が失せてしまって私は机の脇にぶら下がっているカーテンを横に開いた。ぼんやりとした景色は、朝日らしい光が周囲の薄紫の霧を染め始めているところ。肌寒い空気が窓の外から伝わってくる。
 私は数分待って、やっぱり何の連絡も戻ってこないことを確認すると、立ち上がって一人暮らしのキッチンへお湯を沸かしに立ち上がった。
 コンロの上の薬缶が湧き上がるまでの間をその正面で立って過ごしていると、どうにも腑に落ちない何かが心の中から湧き上がってきはじめた。
 国府田淳子という名前は、それはまあ、高校の同級生でもあった。
 だけどすぐには思い出せないどこか、別れて以来ではなく、どちらかといえばもっとつい最近に、私はその名前をどこかで聞いたことがあるような気がした。
 同姓同名の知り合いがいた? …ってわけでもない。
 誰か他の同級生達から噂を聞いた? …そうだったかもしれない。でも少し違う。それ以前に私は当時の地元に今も連絡をとりあうような友達はいない。
 じゃあ、本人から連絡が来たとか? まさか。電話や直接のコンタクトならすぐわかるはず。…直接じゃなかったとしたら?
 私ははっと思い当たって台所からベッドルームに転がり戻った。机の上に相変わらず山積みになっている郵便物の山を急いで漁る。一枚ずつ宛名に丁寧に目を通して次々により分けていると。
「あった」
 私は一度開いたことのある封筒をもう一度開いて中の便箋を取り出した。正確にはそれは「便箋」というものではない。二つ折りにされた黒ぶちの厚紙。同級生一同に向けて発送をされた、質素な報告書。
 国府田淳子は、つい2週間ほど前に、事故で死んでしまったのだ、という。
 薬缶の口から勢いよく吹き出す上記が笛を鳴らすのと、私の背中をぞっとしたものが走るのはほぼ同時だった。
 封筒を片手にしながら私は台所に戻り、お湯を止めてから何度もその文章を読み直した。あまりにもそれが事務的で簡素なものだったせいで、私はもらったその時すぐにその事実を自分にかかわりのあることと受け止めることができず、私生活が忙しかったこともあり、葬儀にも顔を出さずにそのままにしてしまっていたのだ。
 すると、さっきのは「あの世」からのメッセージ? 
 と、私は最初に考えたけれどもすぐに首を横に振った。いや、そうかもしれないけれどもそれ以前に手の込んだ悪戯、って考える方が自然だろう。そうに決まってる。
 でも、それにしても電話の声は昔の国府田によく似ていた。はて、あの子に妹か姉かいたかな、と私は考えながら冷静にお茶をいれ、それを持って机に戻った。
 さっき書いたばかりのメモを手に取って、捨てようかどうか少し迷いながら手の中で弄んでいた、その時。
 再び電話のベルが鳴った。
「もしもし?」
「ごめんね。ちょっと混線があったみたいで」
 いいよ、と私はにこやかにその相手をする。タネがわかってしまえば別に腹も立たない。
「で、何の話だったっけ。聞きたいことがあったんだよね」
「そうそう。あのさ、国府田は今どこからその電話をかけてるのかってこと」
 地元かな? それなら結構電話代が高いんだろうな、なんて余計な心配までしてあげながら、私は何気なく本体の脇を指先で撫でた。
「実は私にもはっきりと『どこ』ってことはまだわからないんだけれども」
「うんうん」
 そこで、私は外に新聞屋さんか何かの気配を感じて反射的に身体をよじった。すると、力加減を間違った指先が本体の角度を大きくずらして傾ける。
 落下しかけた電話本体を私は受け止めて、私はぴたりと動きを止めた。
「すごく『遠いところ』なんだ。とにかく」
「…そうだろうね」
 最初のコールの時点で、私はその電話本体からジャックを外しておいていた。直した記憶なんて、そんなものは全くなかった。
「んじゃ、そういうわけでなるべく早くに連絡をよろしくお願いね」
 いよいよ断るわけにはいかなくなって、私はコードレス状態になった電話本体を抱えたまま、朝の光の差し込む部屋の中で一人立ちすくんだ。



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