パープル・タウン
----- その17 -----
 できる限り長く時間をかけるつもりだった。考えてみれば紫乃から一方的に絵梨子を「いかしに」いくのはこれが初めてのことだった。
 先ほど絵梨子が空気を入れ替えた窓からは相変わらず柔らかで暖かな日差しが差し込み、屋外で遊んでいるのだろう子供の声が時折届いてきたりもする。紫乃が吸い付くようにして唇を肌に触れさせると、大きめの音が立った。それがひどく外の世界と不似合いに感じられて、今更ながら自分のしていることに罪悪感に似た気持ちを持ってしまう。
 じわりじわりと頭をおろしていき、ヘソの下を越えたあたりで絵梨子は紫乃の髪の間に指を差し入れた。やや腰を斜めに片膝を持ち上げたところに紫乃は自分の肩を入れ、抱え込むようにして顔を腿の間に埋めていった。大げさでわざとらしい嬌声ではなく、動きの変化に合わせて出てくる喉を鳴らす声は非常に色香のあるもので、紫乃はそれまでの自分と逆の立場である状況に-----こんなとき、とわかっていながら-----それまでにないほど大きく胸を鳴らしていた。
 自分の名前を呼ぶ声がして紫乃が顔を上げると、絵梨子が小さなうめくような声を上げて、横になっていた身体をずらしてベッド脇の壁に頭と肩から背中半分までを寄りかからせた。観念したように両足を開いたところへ、紫乃は身体を覆いかぶせる。指先を使いながらちらりと視線を上げると、紅潮した絵梨子の顔と、どうしていいかわからないようにシーツを指でつまんだり握ったりを繰り返す手先が見えた。表情と声色で、あとどれくらいかなんとなくわかった。紫乃は身体をずらし上げると、絵梨子の額に一つ口付けて、残した指先の動きを早くした。紫乃を抱きたいわけでも、反らしたいわけでもないだろうに、絵梨子の腕が胎児のように身体の前に畳まれていくのがわかって、紫乃は目の前にまで来たその片方の指を一つ口に含んだ。
 舌で指の腹を舐めるようにして動かすと、一つだけ大きくくぐもった声を出して、絵梨子の身体が痙攣するように打ち震えた。それが収まるまで待つことなく、さらに紫乃は指先を止めずに動かし続けた。弱いと以前から知っていた耳朶の付け根の辺りに舌をつけてなぞりあげると、終わりかけたと思った体の振動がもう一度ぶり返すように始まった。何か言いたいらしかったけれども言葉にならないふうで、絵梨子がまた手を宙に伸ばしかけたので、紫乃はその中に割り込むように身体を相手に寄せ、自分の肩にしがみつかせようと胸元を重ね合わせた。
 しばらしくして、ようやく静まりかけたふうに大きく2、3度絵梨子が身体を反らした。紫乃はそのタイミングを見て唇を近づけると、舌の先でぐるりと相手のそれをねじって入るようにして長いキスをした。静かな室内に響くほど長く執拗になぞり回した後で、それまで少し止めていた指先の動きを下腹部で唐突に再開させた。絵梨子はその上にもう一度、それで全て残りを吐き出すかのような、腰から全身に回っていく小刻みに感覚を任せた。
 ぐったりと、口も利けないほどに倒れこんだ絵梨子を、紫乃は日が傾いていくまでずっと横向きに抱きしめていた。子供の声が遠くなり、室内に青みが増し始めて、紫乃は足元から一枚多く毛布を引き寄せると、再び絵梨子の真横に倒れた。それまで紫乃に対して前を向いていた絵梨子は、その一時の解放を狙って体を反対に向かせた。紫乃は絵梨子を背中から抱き込む形となり、片腕を腰から回すように置いた。
 夜が近くなってきていた。夕陽が落ちた気配がして、カーテンを閉じない窓も光を室内へと運ばなくなってきた。紫乃は約束をした以上、どれだけ遅くなるとしても自分からここを動くつもりはなかった。もし絵梨子が何も言わないなら、朝になろうがそのまま日にちが過ぎようが、それでもそのままでいるしかないのだろうな、と思った。
 それはそれで、もしかしたら幸せなのかもしれない、と紫乃が眠気ぎりぎりの頭で思い始めた時、絵梨子がやっと口を開いた。後ろ向きな上、明瞭な発音ではなかったので、紫乃は聞き漏らさないようにと自分の身体をぴったりと相手の背中にくっつけた。
「紫乃は前に、私の中学校時代に好きだった人の話を聞いたよね? 覚えてる?」
 相手の後頭部に額を密着させるようにしたまま、紫乃は黙ってうなずいた。思い出そうとするまでもなく、そのことはずっと紫乃の心の中に引っかかっていたことだった。それがどうかしましたか? と尋ねると、絵梨子は少し間をおいて話の続きを始めた。
「もう隠したってどうなることじゃないだろうから全部話しちゃうけどね。その人、実はちょっと紫乃に似た人だった。…顔の造作は、悪いけど紫乃の方がいいとは思うけれども、なんていうんだろう。雰囲気っていうか、キャラクターっていうか。そういう第一印象はかなり近かったと思う」
 当然だけど、女。と、絵梨子は言った。紫乃は驚かなかった。自分と寝たから、とかいうことを抜きにしても、証拠以前に直感として絵梨子という人の中が「そういう」欲求のかけらをもっていただろうことを紫乃は前々から感じていた。学校に赴任してすぐの時期から見え隠れしていた、人当たりのよい態度の中に潜む何か「隠す」ような奇妙な感覚は、きっとそういうところだったんではないか、と今になれば納得できる。
「私が中学生時代に一番強く思っていたことっていうのは二つあってね。一つは『自分を理解してくれて、引っ張っていってくれる大人が欲しい』ってことで、もう一つは『好きな人に、自分のことも好きと思ってもらいたい』ってことだった。結局、そのどちらも叶わないまま終わっちゃった、ってことでも同じ」
 つらいことばかりじゃなかった、って言っても、長い年月が過ぎてから思い出して一番強く残っているのは、やっぱりどうしても思い通りにすることができなかった”悔やみ”みたいなものなんだよね、と絵梨子は言う。
「私が教師を目指した一番の理由は、そういう自分がかつて望んでいた”大人”が、たった一人であっても世の中に存在していて欲しかったから。教師であってもなくても、子供に対して勝手な先入観やしょうもない保身なしに、その『人間』をきちんと見て理解してあげられるような、そんな大人が今この世にもし一人もいないなら、せめて自分だけでもなりたいって思ったの。本当に一人もいないかどうかは確かめられないけれども、自分のことについてに限って言えば、自慢じゃなしに多少は達成できたっじゃないか、って思ってる」
 なれてますよ、と紫乃が言うと、ありがとう、と絵梨子は言った。
「でももう一つのことについては、ずっと引きずったまま解決の方法もなく置き去りにしてた。わかりにくい話だけれどもね。別に当時に『好き』と思っていた人を今も同じ気持ちで『好き』って思っているわけじゃないんだよ。『その人』へ向いた気持ちそれそのものじゃなくて『果たせなかった』っていうその気持ち自体が、出口をなくしたままずっと私の中には残っていて、本当なら忘れたままになっていたはずだったのに、きっかけに出会ってしまったことでいきなり噴き出してしまった、とでも言えばいいのかな。そういうこと」
 そのかつて「好きだった」相手が誰であるかは尋ねるまでもなかった。絵梨子は自分の膝を抱え込むようにすると、ほとんど独り言のように続けてた。
「私は紫乃と会って、そんな自分の二つの『果たせなかった過去の気持ち』を消化してたんじゃないかって思う。理想の自分になって過去の自分のような人を助けるってことをしながら、過去の自分に戻ってかつて好きだった人と抱き合ってたわけで。紫乃にしてみれば迷惑な話だろうけど、私は自分の気持ちの中に長い間持ち続けていたわだかまりを、紫乃を通じて少しずつ晴らしていってたんだよ。だから、この学校に来て紫乃と出会ってからの私は、それまでないくらいにすごく『幸せ』だと思えてた」
 紫乃が腰を抱く手の力を強くすると、絵梨子はその上にそっと添えるように手を
乗せた。謝りたいような弱気な仕草だったが、紫乃は謝ってなんてもらいたくなかった。
「言い訳はしないよ。私が紫乃に対して持っているのはそんな自分勝手な気持ちだってこと、どう思ってくれてもいい。だけどね、だけど。それでも私はいつか紫乃に『必要とされなくなる』日が来るのが怖いって思う」絵梨子は言葉を詰まらせた。「そりゃこの歳まで生きたんだもの、”永遠に続く幸せ”なんてものは存在しないっていうのはわかってるつもりだよ。だけども今の自分がとても幸せなんだと思うほど、新しく流れた時間のせいでそれがまた長く消えない辛い思い出に変わっていくのが怖い。時間の重みで今私が持っている『幸せ』な気持ちが徐々に色あせて後悔するようなものに変わっていくくらいなら、それならいっそ、何か別の理由でばっさりと途切れてしまえばいいって、そんなふうに思ってしまってる。紫乃はこんな話、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないね」
 上手な伝え方がわからくてごめんね、と絵梨子は言った。紫乃はどう答えていいかわからず、ただ絵梨子に回していた腕の力を強くした。絵梨子が前かがみに身体を折ったので、それに重ねるように紫乃も自分の身体を曲げた。そんなふうに寄り添わせていこうとするしか、気持ちを共有する方法がないんじゃないか、なんてふうにも思えた。
「絵梨子さんは、私を『嫌い』なわけじゃないんですよね」
 紫乃は言った。絵梨子は最初は意味がわからないようだったが、深く裏を読むようなことはせずに、正直に強く肯定の返事を返した。
「だったら、お願いです。別れるなんて言わないでください。これまで通り、なんてわがまま言いません。全部を理解できたわけじゃないんですけれども…絵梨子さんが関係を負担に思わない程度のペースだってかまわないんです。どんな小さな形でも短い時間でも、せめて私が中学を卒業するまででいいです。それまで少しの時間でもそばにいてもらえないでしょうか?」
 これがもしあるべき「男女の」恋愛であったら、こういう台詞はどちらの性別が言うにしてもかなり「みっともない」ものだったような気がする。だけども紫乃は言った。言っても「みっともない」ことにならないと絵梨子を信じたからだった。
 絵梨子はしばらく無言でいた。そして紫乃が絵梨子の腰に回していた腕に添って手を滑らせると、身体を反転させて正面から向かい合った。
 そのときにはすっかり外は暗くなっており、窓から差し込む明るい月の光がなかったら、きっとその時の絵梨子の表情は紫乃には見えなかったと思う。
「私はね、紫乃の才能は絶対に『芸術』だけじゃないって思ってる」
 絵梨子は少し微笑むと、紫乃の両方頬を挟み込むようにしてキスをした。それが終わると、絵梨子は「よし!」と元気を取り戻した声を出しベッドから飛び降りた。
「まずは受験があるでしょう。あまり紫乃は変な『大人の理屈』を難しく考えない方がいいよ。とりあえずはその一区切りに向かってがんばって、それから考えることにしよう。ね?」
 月明かりを半身に浴びた絵梨子はまるで中世の絵画のワンシーンのようでもあった。順に衣服を拾ってつけながら、いつものように紫乃に「ほら! 急いで」と声を張らせる。
「今日は遅いからもう送るよ。あとのことはあとから」
「だけどもまだ…」
 絵梨子は拾い集めた紫乃の服をベッドに投げた。残念だけど今は一刻を争うから、と時計を指差す。既に9時を回ろうとしている表示を見て、流石に紫乃も慌てた。
 外に出ると、生温かい空気があり、夜とも思えないほど輝くような満月が頭上にあった。乗り込んだ車は駐車場から国道へと滑らかに滑り出、紫乃の乗る助手席の窓はその大きな月とは逆で、遠い街の景色そのものがほのかに光を放つかのような景色が望めた。
 「あと一年」、と声が聞こえた。紫乃が顔を向けると運転席の絵梨子の横顔が近くにあり、その奥の窓には大きな月が浮かんでいた。絵梨子の横顔はすがすがしく、白い灯りに照らされとてもきれいなものに紫乃には映った。
「あと一年。付き合ってみようか、私達」絵梨子は言う。「ただしゆっくり、ね。それでもいい?」
 紫乃はうなずいた。
 正面から一瞬だけ視線をそらして、絵梨子は紫乃を見て微笑んだ。紫乃は絵梨子の後ろの月の眩しさに少しだけ目を細めてしまう。
 無言のまま車は走り続け、紫乃はしばらくじっと絵梨子とその窓から見える月を長く見つめていた。町並みは次々と流れ、景色を刻々と移していくのに、その月だけは追えども追えども一向に近づく気配を見せない。
 紫乃はもどかしかった。明確な説明の言葉を知らない自分の幼さを、これほどもどかしく思ったことはなかった。


 



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